腰越の海に突き出した小動岬は、
太宰治が
心中自殺を図った場所としても知られています。
1930(昭和5年)11月28日、
太宰治は銀座のカフェー・ホリウッドの女給
「田部あつみ」(19歳)と
小動岬でカルモチンによる心中自殺を図ります。
太宰は苦悩中を付近の漁師に発見され生き残り、
あつみは死亡します。
彼らが会ったのは3日前の11月25日。
太宰はその前日の11月24日に兄文治から、
分家除籍を条件に
青森から出奔させた小山初代との
結婚を強いられたのでした。
その結婚は太宰にとって、不本意なもの。
田部あつみも夫との間に問題を抱えていました。
太宰たちが服毒したのは
小動神社裏の小動岬の岩場
太宰が収容された
結核療養所の恵風園サナトリウム
後の恵風園胃腸病院は
小動岬のすぐそばにあり、
この病院は太宰の短篇
『道化の華』の舞台になっています。
その恵風園は解体され
内科・消化器内科として
2020年3月に小動神社の向かい側、
浄泉寺のお隣に移転しました。