川の対岸は、大阪・飛田新地、
沖縄・真栄原社交街と共に
「三大ちょんの間街」だった場所。
欲望、貧困、死。
夜ごと漂泊者たちの魂が
烈しく、哀しく、
脈動する小さな街が、
確かに、ここにあった。
アジアや南米から
横浜・黄金町に渡ってくる女性達
日本へ渡るために
彼女たちが抱えた借金は、
タイ人で350万~400万円、
コロンビア人で
500万円ほどに達したという
売春の元締となる
現地旅行会社からブローカー、
運び屋を通じて売春宿に至るまで
雪だるま式に膨れ上がるから
地下銀行から
母国に仕送りを続けるにも、
法外な手数料を
支払わなければならない。
タイ出身の
ヌアンサーレ・ワラポンは
03年3月、
身寄りのない異国で最期を迎えた。
HIVに感染して発症
28歳だった。
ワラポンは、
19歳で日本に渡ってから
数カ月置きに
2万バーツの仕送りをしていた。
畑仕事の稼ぎが1日100バーツの
タイの家族からすれば、
桁違いの大金だった。
母国の経済的困窮は絶望的で
帰国しても
まともな居場所はなかった。
彼女達が経済大国で働くことは
それがたとえ売春であっても
プレステージだった。
かっての
天草・島原の女性のように・・・