JR根岸線 鍛冶ヶ谷の山茶花

f:id:soft_machine:20201120131044j:plain

JR根岸線 港南台~本郷台

 

 

横浜市栄区鍛冶ヶ谷

ここは、鎌倉の丑寅にあたっていたため

鬼門厄難除けのため虚空蔵菩薩を安置した

正翁寺という寺を源頼朝が建立した場所。

 

鍛冶ヶ谷と言う地名が示すように

古代から農具などを作る

鍛冶達が住んでいた場所です。

ここには、製鉄関連の炉が18ヶ所、

鉄精錬の炉が14ヶ所、製銅の炉が1ヶ所

砂鉄を掘り出した竪穴遺構、

鍛冶ヶ谷式の横穴古墳など

さまざまな製鉄関連の遺跡が点在しています。

鍛冶ヶ谷の近く上郷深田地区では、

7世紀から9世紀前半にかけての

200年間操業されたと思われる

製鉄遺跡が発見されています。

大陸製法の須恵器もあることから

渡来系の鍛冶集団と思われています。

鎌倉時代になると

鎌倉にほど近いこの地は、

重要な兵站基地となり

一帯には、刀鍛冶の集落が次々と生まれます。

それが、地名に現れています。

この写真の奥の場所は、日野。

もともとは、火野といいました。

氷取沢は、鎌倉時代には

「火取沢」と呼ばれていたことが、

鎌倉幕府の公的史書吾妻鏡』の

建暦3(1213)年の条に記録されています。

砂鉄から鉄を取り出すときに出る

不純物の「金くそ」

その「金」の字を持つ隣接する区「金沢」

ここは、埼玉県の秩父から鎌倉入りした

畠山重忠が連れてきた鍛冶職人を

金沢区の釜利谷(かまりや)の谷戸に移り住まわせます。

彼らは鉄鉱石の産地で

武具生産の盛んな秩父の金沢村の出身で

自分たちの出身地「金沢」の名を

そのまま移したのだといわれています。