JR鶴見線 在日米海軍鶴見貯油施設

浅野駅のこの先、
旭運河の向こう側にあるのが
在日米軍の中でも
最も大きい貯油施設である
在日米海軍鶴見貯油施設

米軍横田基地の航空機用の
燃料を貯油していて
浅野駅のお隣、安善駅から
貨物列車で青梅線拝島駅まで
ジェット燃料を運んでいて
また青森の三沢基地にも
海上輸送しています

数年前までは空母艦載機が来る
厚木基地にも
ジェット燃料を送っていました

在日米軍は、
かってのイラク戦争にも
横須賀基地の空母キティホーク戦闘群や
三沢基地の
F16戦闘機部隊などを参加させている

そう考えると
この界隈も騒がしくなる?

ジェット燃料を輸送させない為
鶴見線の線路を壊すとか
地味なテロ攻撃,受けないかな?

それにしても
消費税減税の財源の話が出る度,
思いやり予算とか
在日米軍再編経費など
支払い義務のないお金もあるじゃんと
いつも思ってしまう

 

EF210 落書き

小学校時代の同級生6人で
鎌倉を散策した時のこと

鎌倉を訪れている
外国人観光客に会うと
訪日外国人たちの振る舞いって
非常識だと言う女性がいました

そこで、
彼らは単に日本独自のモラルを
知らないだけと諭します

ハワイ州などアメリカで
歩きスマホは罰金だけど
歩きながらスマホで検索する日本人や
やはり罰金対象の
横断歩道以外の場所を渡る
日本人が多いのが問題になっている

さらにトイレのドアをノックするとか
買い物をした時、
店員さんに「Thank you」を言わないとか
人前で鼻をかんだり、すすったりしちゃう
その国のモラルを知らないが為に
ひんしゅくをかっている日本人と同じ

そんな話をしたら
「外国人観光客は落書きをする
落書きがよくない事は
世界共通なのに外国人は~」と言う

これ以上、
彼女の言葉に意見したら
角が立ちそうだったからやめたけど

いやいや
落書き行為こそ世界共通の非常識

彼女に桜木町の根岸線高架下や
根岸線ガード下の落書き
見せてあげたかったよ

JR鶴見線 門型鉄塔送電線

ここ鶴見区は、
横浜市内で2番目に
外国人人口が多いエリア
その中でも南米国籍の人は
外国籍の人達の
約40%を占めています

この撮影地、浅野駅の近く
仲通商店街には南米タウンがあり
店舗数は減っちゃったけど
いまでも南米料理を提供するお店や
食品を扱う店舗が数軒あり
土産物屋巡り気分で
「ユリ・ショップ」とか
「マハロ」を覗いています

なぜ南米の人が多いのか、
それは、横浜赤レンガ倉庫に近い
新港地区にある
海外移住資料館で勉強しました

日本政府が
日本人定住農業移民を
送り出すという条約を
南米諸国と締結したことが発端

1960年代末まで
国策移住があったのだけど
日本が経済大国になると
移民政策は実質、終焉

逆に1980年代後半からの
日本のバブル景気により
海を渡った人達の
子孫である日系人とその家族が
日本へ職を求めて
出稼ぎに来る現象が見られ
1990年の出入国管理法改正により
日本国籍のない日系二世・三世の
就労制限が緩和されたため、
更に出稼ぎに拍車がかかりました

でもなぜ鶴見に?

80年代、鶴見にいた
沖縄系の電気設備業者が
電気工事士に南米からの
労働者を雇いはじめたのがきっかけ

「鶴見に行けば仕事があり、
同郷の仲間と一緒に働ける」と
伝わったのです

もちろん
電気工事の作業の中には
国家資格がないとできない工事もあり
日本語がネイティブではない
移民の方々には、ハードルが非常に高く
合格率も40%ほど

しかし鶴見には講座を開き、
移民でも資格取得ができるよう
サポートする人がいた

実は前述した
「マハロ」も
電気設備の施工・管理を主業とする
異業種の友電設の社長さんが
「ブラジル人居住者の生活に根差した
食品や商品を扱う店が不足している」と
困っているブラジル人達のために
開業したお店

そういう助け合いがあるのが鶴見

今回、この記事を書くにあたり
日本から南米に渡った日本人の苦労、
ブラジルから日本に働きに来た
家族の戸惑いや
苦労を読んで目が潤んだ

自分に何ができるのか
答えは出ているのだけど
それを素直にここに書けない
世相がもどかしい

 

JR鶴見線 浅野駅3・4番線

鶴見線といえば一部の工場への
通勤に特化した路線と言うイメージ

実際、通勤時間帯は
1時間に11本もの列車が運行されている

しかし日中は、1時間に3本まで減り
ここ浅野駅では鶴見駅に出るのに
2番線と4番線が使われ
列車の発番線を間違えると
次に来る列車まで40分も待たされる

この日も2番線ホームにいた男性が
なかなか電車来ないね
20分発があったはずなんだけどと
嘆いていた

その20分発は4番線を発ったこの列車

無人駅ではあるけれど
今度の鶴見方面行は
4番線から発車しますという
構内アナウンスができる仕組み
作れないのかな?

JR鶴見線 多文化共生

横浜市鶴見区、
世界的経済危機
いわゆるリーマン・ショックの影響で
解雇され失職したり
東日本大震災の原発事故を機に
帰国した人も多いけれど
現在も鶴見区の人口の6%
16~17人に1人が外国籍の方

ここ浅野駅に近い
横浜市立潮田中学校は、
全校生徒の約3割
100人以上が
外国とつながりを持つ子供達で
南米が大半

そのためポルトガル語などで
授業のサポートを行う
補助教員が配置され
言葉の問題で
クラスの授業に
付いて行けない子供の為に
「国際教室」も設置されています

この学区の小・中学校に通う
日本の子供達、
自然に多文化共生を身につけられて
羨ましいな

きっと大人になっても
それは財産になると思う

 

 

 

JR鶴見線 鶴見区臨海部

横浜市の中で
在住外国人の人数が
18370人(2025年12月末現在)と
中区に次いで多い鶴見区

京浜工業地帯で働くために
朝鮮半島や沖縄から移り住んだ人や
国策として南米に移住した
日本人の子孫が
鶴見に住む沖縄の親戚を頼り来日するなど
多くの人々が鶴見区に集まりました

現在は、
朝鮮、南米からの人に加え
中国、ベトナム、
フィリピン、ネパールなど
多くの人がここで働き
日本の産業・経済に
欠かせない存在となり
結果、日本人労働者の
忙しくて休憩もとれないとか
長時間労働などの
就業の悪化を防いでいます

 

 

JR鶴見線 沖縄タウン

ここ浅野駅のそばには、
「沖縄タウン」があります

京浜工業地帯の川崎市や鶴見は、
労働力確保の為
貧困地域だった沖縄の人の移住を
積極的に促しました

その人数、鶴見だけで約3万人

しかし待ち受けていたのは
今では考えられない様な
高度成長期の「きつい・汚い・危険」の
いわゆる3Kの仕事と差別

沖縄出身者は
就職も進学も、家を借りるにも、
差別や言葉の問題などで難しかったし
「沖縄人お断り」の貼り紙を
出す店まであり
もちろん恋愛や結婚にも
差別による障害があったといいます

店を出すにも起業するにも
銀行は相手にしてくれないから
小口金融のための「モアイ」という
沖縄独特の自給自足の組織を
この街でつくります

沖縄出身者同士で
支え合っていかなければ
生きていけないという
現実があったからこそ
沖縄出身者が集い
形成されたのが沖縄タウン

それが、ここ浅野駅に近い
仲通や潮田町の「沖鶴地区」

具志堅用高がゲスト出演した
テレビ番組で語った話

チャンピオンになって沖縄に凱旋した時
みんなから「おめでとう」じゃなく
「ありがとう」と声をかけられたの

一緒に番組に出ていた人たち
ふ~んという感じで聞き流す

そこで具志堅さん
「仕事がやりやすくなったという人も
沢山いてね」と続けるも
具志堅、
また意味不明の事をしゃべってるよと思われ
彼の話題は途中で遮られます。

沖縄県人に差別をしてきた
「本土」の人達ならではの
加害認識のない対応だったな。

 

JR鶴見線 浅野駅界隈

鶴見線が走る地域は、
かって多摩川と鶴見川のデルタ地帯

大正の初め頃は、淋しい農漁村で
ヨシの生い茂った低湿地帯でした

日本のセメント業のパイオニアで
浅野財閥を築いた浅野総一郎
(浅野駅の駅名の由来となった人物)は、
浅野セメント会社の
工場新設の必要も迫られていたので
ここに一大工業用地を造成する為の
埋め立て事業を企画します

そのあまりに膨大な計画は、
同社の重役会でも
すぐには了承されませんでした

しかしながら
技師を伴った実地検分を繰り返した結果、
渋沢栄一(第一銀行頭取)、
安田善次郎(安田財閥)の賛同を得て
1912年12月、鶴見埋立組合の名で
県当局に計画を出願します

埋立は、1913年9月に着工され
1926年3月には、
ほぼ鶴見線が走っている町の
埋立が竣工しています。

浅野駅がある
鶴見区末広町は
1916年に浅野造船所
(現ジャパン マリンユナイテッドの
横浜事業所鶴見工場)と
旭硝子(現在のAGC)、
1917年に浅野合資会社製鉄部
(日本鋼管京浜製鉄所を経て、
現在のJFEスチール東日本製鉄所)が
操業を始めた場所

その頃、
日本は、朝鮮半島を併合していたので
最初は企業による「募集」、
後に「官斡旋」、
「国民徴用令」に基づく強制連行で
多くの朝鮮人が駆り出され
この界隈のキツイ仕事を任されました

JR鶴見線 浅野駅

細い路地に建つ
くすんだ色の家の
ひしゃげた牛乳箱だったり
地方の商店街の店先に
何十年も佇むマネキンだったり
手の入っていない
まるで放置されたかのような、
でもしっかりと現役のモノ

そういうものに
なぜか魅かれる

鶴見線 浅野駅の存在って
それに似てる気がする

 

御殿場線 雪の下曽我 Ⅳ

雪の積もった
梅の畑に入れなくても
除雪された道から
梅と御殿場線が撮れればと
下曽我駅まで来てみたけれど
除雪されているのは駅前だけ
曽我の町一面、真っ白
しかも梅の花は、
積もった雪に隠されているので
下曽我駅の改札口を出ることは
ありませんでした


耐雪梅花麗という言葉があるけれど
やっと咲いてもまたも耐雪
梅の花、どんな気持ちでいるのだろう

御殿場線 雪の下曽我 Ⅲ

本来、この列車の
折り返しに乗る予定だった
一緒に曽我梅林を
訪れることになっていた
友人夫婦と連絡が取れ
曽我梅林諦めましょうと
国府津駅に戻ることにします

下曽我駅のホームの先まで行って
ホーム上や線路端の
余計なものを入れず
すっきりと雪の中を走る
乗車予定の列車を
撮りたかったのだけど
ご覧の通りのホーム上の雪

除雪されていた
列車停止位置からの撮影に
余儀なくされました。

 

御殿場線 雪の下曽我 Ⅱ

曽我梅林の観梅、
私が友人の奥様も誘ったので
つまらない思いをさせたくないと思い
10日前から
インターネットで
去年、今年の曽我梅林情報を収集したり
小田原市の観光協会に電話したり
バス会社に電話を入れたり
下曽我や国府津の食事処を調べたり
綿密に計画を立てていました

なのになのにこの積雪
催行日を別な日にするよう
提案も出来たのに
やっぱり最後の詰めが甘いのは
中学生の頃からずっと変わらない私

御殿場線 雪の下曽我 Ⅰ

小学生時代の友達夫婦と一緒に
訪れる予定だった曽我梅林

時間的に別所地区しか
廻れそうもなかったので
一足先に曽我に乗り込んで
原地区で梅を撮ったり
梅と御殿場線を撮って
遊ぼうと思っていました

下曽我駅に到着
二宮あたりの畑の様子を
列車から見ていたので
気にはなっていたけれど
予想以上の残雪

斑雪の梅林風景なんて
風雅なもんじゃない

こりゃ道の上でも
長靴を履いていなきゃ無理
ましてや畑の中に入って
観梅なんて無謀な程の積雪

そもそも
雪が梅の花や枝に積もったままで
雪に埋もれた梅を観るという状態

1時間後に到着する予定の
友達夫婦にこの状況を知らせようと
駅から見える範囲の様子を
何枚か写真に撮りラインで送ります

友達夫婦は、
向かっている電車の中にいる時間、
電話は出来ないし
御殿場線に乗り換える前に
送ったラインを
見てくれればいいなと思いつつ
ホームの上で気をもんでいました

 

東海道線 雪の国府津駅

国府津駅、御殿場線の列車の
発車時間まで20分程あったので
ホームの上から雪を交えての撮影です

久しぶりに雪煙を
巻き上げる列車を見ました

横浜に居たら雪も溶けていて
こんな写真も
撮れなかっただろうなと思いつつ
これから向かう
曽我梅林の残雪具合が気になって
複雑な気分

この日は、なぜか楽観的に考えていて
この時は、まだ一縷の期待を抱いていて
とにかく下曽我まで行ってみようと
考えていました




 

 

相模貨物駅 HD300ー3

小学生時代の友人夫婦と
小田原の曽我梅林に行くことに

大船から西に下っていくと
茅ケ崎辺りから
前日に降った雪の残雪が
目立ってきました

もしかしたら
相模貨物駅の脇を通る時、
雪の中の機関車を撮れるかもと思い
カメラを取り出し
車窓にレンズを付けて構えます

いい感じで撮れたなと
この時点では、残雪に感謝

大磯を過ぎると街一面が白
あれれ、横浜と大違い

まだ家を出ていなければ
いいなと思いながら
長靴を履いてきた方がいいよと
慌てて友人にラインを送ります

さらに下って
二宮の車窓からみた畑、
どうみても10センチ以上の残雪

必ず長靴必要ですと
悲痛な叫びのようなラインを
友人に再送信

6合目あたりにも雪が見られる富士山や
白く薄いベールを被ったような
雪の丹沢の山々の美しい姿に
うっとりして車窓を眺めていたけれど
国府津駅が近付くにつれ
曽我梅林、歩けるのかと不安が大きくなり
モヤモヤした気分に変わっていきました