京急 52年目の桜

大岡川のこの桜、三代目であるらしい。

横浜が、まだ市になっていなかった頃の
明治時代の初代桜達は、
関東大震災で焼失。

震災後の1928年、
護岸改修に合わせて植えられた2代目桜達は、
太平洋戦争の時の燃料不足を理由に
付近の住民達が、すべての桜を伐採しちゃった。

天災や戦争という人災に翻弄された桜達、
なんとも不幸な境遇を送っています。

戦後、問屋街を控えた
この辺り一帯の大岡川の川沿いは、
人を招くということで柳が植えられましたが、
1972年に桜が再度植樹され
その3代目桜達が、今に至っています。

EF210 桜の雲の中

人には誰にでも
「あの日の桜」
「あの時の桜」が
瞳の奥底にあると思う。

芭蕉が詠んだ
「さまざまのこと思い出す桜かな」
ここで詠まれる花が桜でなければ、
個人の感慨で終わってしまう。
桜であることで、
過去から現在、すべての日本人に
それぞれの感傷を与える歌に
なっているように思う。

桜の存在、
それは、美しさだけではないと改めて思う。

京急 夜桜祭り

コロナ5類移行後、
初めて到来のお花見シーズン

桜の名所と言われる場所は、
どこも大賑わい

コロナ禍では、
集団感染防止のため
多数が集まる密集場所を作らないように
 間近で会話や発声をする
密接場面を作らないようにと
政府をはじめ自治体も言っていたのが
遠い昔のよう

あの頃は、
テレビの報道番組では
不要不急の外出はやめましょうだの
3密回避などと言いながら
桜の開花情報や満開の桜の映像を流して
桜を観るなら今しかないよと皆を煽ったり
観光協会なども
観光庁自治体から
補助金をもらっているにもかかわらず
一生懸命SNS等で
我が市に観に来てと言わんばかりに
桜の写真を発信し
密になるよう促してたけど
やっぱり花見をするのは気が引けた。

そんな年の事を思い出しながら
大岡川桜まつりの盛況ぶりを見ていました。

京急 大岡川の桜 2024

『世の中にたえて桜のなかりせば 
春の心はのどけからまし』

この世に桜がなければ
春も穏やかな気持ちでいられたのに

2類相当だった
あのコロナ禍では、
桜撮影に出掛ける罪悪感
桜を映し出すテレビ局の
ダブルスタンダードな姿勢への
苛立ちなども加わって
例年以上にそれを感じた。

そして今年は、
連日の雨に
穏やかな気持ちを持てないでいる

EF64 1022 立野小学校(横浜市中区立野)の桜

今日は、横浜市の小中学校の入学式

今年は、桜の開花が遅れたことにより
入学式と満開の桜が重なりました。


ちょっと大きめの真新しい学生服を着て
学校の正門から桜に覆われた坂を
ワクワクした気分で
母と一緒に歩いた中学校の入学式
あの時の桜は、
ようこそと言っているようだった。

娘の小学校の入学式
その土地は、
私たち家族にとっても
文化の違う新生活の場で
不安も大きかったのだけど
校庭の満開の桜が希望を与えてくれた。

私にとって共に忘れられない桜

EH200(85レ) 大岡川の桜 2024

今日、4月7日は、
大和が沈んでから79年目の忌日。

船体は鹿児島西方沖の海底に
今も眠ります。

生還を期さない
戦艦大和の沖縄への出撃
それは、「水上特攻」と呼ばれました。
そして
乗組員3000人超の命が奪われます。

出撃前日、
瀬戸内海で訓練中の艦上で
「桜、桜」と叫ぶ声が上がったそうです。
乗員は先を争って双眼鏡に取り付きます。

そして、
「コマヤカナル花弁ノ、
ヒト片(ひら)ヒト片ヲ
眼底ニ灼(や)キツケントス……
桜、内地ノ桜ヨ、サヤウナラ」。

79年前の、この国の現実。