鶴見線 安善駅&武蔵白石駅にて

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一昨日、海芝浦駅でのんびり海を眺めた後は、乗り鉄しながら思い出の駅で途中下車。
まず訪れたのは、安善駅。(写真1~3枚目)
鶴見線が走るこの地域は、かって多摩川鶴見川のデルタ地帯。
大正の初め頃は、淋しい農漁村でヨシの生い茂った低湿地帯でした。
日本のセメント業のパイオニア浅野財閥を築いた浅野総一郎(浅野駅の駅名の由来となった人物)は、
浅野セメント会社の工場新設の必要も迫られていたこともあり
ここに一大工業用地を造成する為の埋め立て事業を企画します。
そのあまりに膨大な計画は、同社の重役会でもすぐには了承されませんでした。
しかしながら技師を伴った実地検分を繰り返した結果、渋沢栄一(第一銀行頭取)、
安田善次郎安田財閥)の賛同を得て1912年12月、鶴見埋立組合の名で県当局に計画を出願します。
埋立は、1913年9月に着工され1926年3月には、ほぼ鶴見線が走っている町の埋立が竣工しています。
安善駅の駅名は、この埋立の功労者の一人安田善次郎より命名された安善町にちなんで付けられました。
ちなみに東大安田講堂は、この安田善次郎が寄付したものなんです。
安善町の埋立が竣工したのが、1922年10月の事。
それから4年後の1926年3月10日に安善駅は、「安善町」という貨物駅として開業します。
そして1930年10月28日、客扱い駅を「安善通」として開業。
1943年7月1日には、「安善」に改名され「安善町」駅は廃止されました。
現在、この駅の側線からは、安善町1~2丁目にある米海軍油槽所から引き込んだ
米軍のジェット燃料を青梅線拝島駅まで輸送する貨物がほぼ毎日運行されています。
もしかするとこの運行本数が増えるかもしれませんね?怖い事です。

次に訪れたのは、1931年7月25日開業の武蔵白石駅。(写真4枚目)
1996年3月までクモハ12系が最後まで頑張っていた大川支線の元分岐駅です。
(現在の大川支線の分岐駅は、安善駅です。)
この駅の名も鶴見線の前身になった鶴見臨港鉄道の発起人の一人、
日本鋼管社長の白石元治朗より命名された白石町にちなんで付けられています。
この駅の改札口もいいでしょ。
ほんとに鶴見線って懐かしいアイテムをもつ駅が多いんですよ。