横浜進化

横浜スタジアムの最寄り駅
関内駅に貼りだされたポスターに
「進化が問われる戦いが始まる。」の
コーポレートスローガン

ぬるいなぁ~

「進化」じゃなくて「真価」でしょ!!

 


*真価が問われる

今まで曖昧だった本当の価値、
つまり必要か不要か、
有益か無益かといった判断が、
否応なく下される状況。

Weblio国語辞典より

東海道線 小田原漁港(早川漁港)

石垣山の中腹の石橋方面へ行く脇道からは
神奈川県内に2つある
神奈川県管理の第3種漁港のうちの1つ
小田原漁港(早川漁港)を見下ろせました。

この小田原漁港では
毎月第2土曜日に朝市が開かれ
港の周辺の「おさかな通り」には
水揚げされたばかりの鮮魚を扱う
魚料理店がいくつもあり
小田原早川漁村や漁港の駅TOTOCO小田原は、
グルメスポットとしてテレビ等でも
よく紹介されます。

撮影後は、一夜城への登山道に戻り
再びキツイキツイ上り坂に挑戦

それにしても
城が突如出現したことによって
北条側が肝を潰したなんて
北条氏をバカ殿扱いした
この一夜城というネーミング
誤解を招くのでやめて欲しいなぁ

EF210 石垣山から俯瞰

石垣山一夜城
歴史好きとしては一度は訪ねてみたい場所
ランチをした早川沿いの食事処から
石垣山一夜城歴史公園まで2300mの近さと知り
立ち寄ってから帰ることにします。

山の上から新幹線や
東海道線も撮ってみたかったしね。

山城といっても
当時68歳だった千利休
淀君ら側室なども招けるってことは
登りも大したことないだろう
30分も歩けば
城跡に着くかなと思っていたら
甘かった

いつ終わるか予想できない
キツイ勾配が続く

「がんばれ、がんばれオレ」

膝を痛めている自分、
これ登ったら帰りの下りの方が辛いよなとか
ここまで高い山からだと
新幹線や東海道線の列車を撮っても
豆粒だよなとか
何かしら理由を付けて下山したくなります。

しかし
ここまで来て諦めたら
今度ドラマや映画で小田原攻めを見た時
絶対に後悔するぞと自分に言い聞かせ
登っていきます。

写真は、山の中腹の道から撮影
ちょうど東海道線
箱根登山鉄道が分離する辺りを走る
1097レ

小田原の街と
その向こうの相模湾を見渡せる
ここからの景色は絶景だったけど
150mmで撮っても
海を撮り込むとEF210も豆粒で
鉄道写真じゃなくなっていたので
ここでは大トリミングして載せましょう。

石垣山一夜城歴史公園到着

公園駐車場には
スイーツで世界的にも有名な
パティシエ・鎧塚俊彦さんが開業した
『一夜城ヨロイヅカ・ファーム』目当ての
車が平日にもかかわらずいっぱい

ちなみに鎧塚俊彦さんは、
胆管がんで亡くなった
女優・川島なお美さんの旦那さん

石垣山一夜城歴史公園の二の丸跡からは、
小田原城が見下ろせました。

この風景から街の建物を消して
小田原城だけにしたら
秀吉と家康の連れしょんの時に見た
風景になるんだろうななどと思いながら
眺めていました。

頑張って登ってきた甲斐はあったけど
石垣山一夜城歴史公園、
歩いて来るには辛すぎた。

EF210  早川橋梁

ロマンスカー撮影後は
早川を渡る新幹線を撮りたいと思い
早川の右岸、一夜城通りを
河口に向けて歩きます。

残念ながら新幹線は、
防音壁に包まれ撮影出来ず

そこで
東海道線早川橋梁の近くの土手で
5075レを待つことにします。

早川のこの辺は、
3月1日から5月31日まで
ヤマメ・ニジマス
CRエリアになっているそうで
平日にもかかわらず
多くの人が釣りを楽しんでいました。

撮影場所の近く早川沿いに
「お食事処 ラーメン」との看板が
店内入り口の上に掲げられた
気になるお店を発見。

入ってみます。

年季の入った店内
懐古趣味の作られた「レトロ」ではなく
放置され飾り気のない「レトロ」な空間。


小上がりとカウンター席の店内は、
もとはお寿司屋さんか
小料理・居酒屋だったような造りだな。

ラーメンを注文しようと思っていたけど
店名を冠した「味よしラーメン」に惹かれ
その中辛を注文。

配膳された丼の大きさにびっくり!!

メンマにタケノコ、
豚肉・キクラゲ・ピーマンが入った
ピリ辛のラーメン。

量が多いので
食べきれるか不安になったけど
美味しかったのでスープも
最後の一滴まで飲み干します。

おなかが満たされると
もう少し歩けそうな気分になったので
一夜城に寄ってみることにしました。

ロマンスカー・EXEα(30000形) 早川

先月、ガイドさんと一緒に
小田原駅の東側の小田原宿を歩きましたが
今月は、小田原駅の西側を巡ります。

二度の小田原探索で総構の構築をした
北条氏のブレーンの凄さに感嘆しました。

板橋地蔵尊でガイドさんと別れた後は
せっかくここまで来たのだからと
早川に沿って歩きロマンスカー撮影。

EF210 関内~石川町

高校生の頃、
岡林信康のレコードを持っていて
山谷ブルースもよく聴いていた。

この写真の奥の場所は、
大阪の釜ヶ崎と東京の山谷に並ぶ
「三大寄せ場」の一つ寿町

横浜の写真を撮り続けているのだから
寿町も見ておこう
チャンスがあれば
こっそり写真も撮ってみたいと思い
寿町~松影町を歩いたことがあった。

結局、
カメラを取り出す勇気はなかったけれど

寿町で入った
カウンター5席のラーメン屋では
一番奥の席に昼間から
日本酒で出来上がっている男性が・・・

横浜市寿町健康福祉交流センター周辺では
多くの男性が談笑しながら日向ぼっこしていた。

寿町、
現在は、ドヤで暮らす人の8~9割が、
生活保護の受給者となっていて
住人の生活介助を行う施設も増え
労働者の街から福祉の街に変わったそうです。

こういうところに
横浜市の財源が
より一層、回せるように
「二重行政」をはじめとした
事業仕分けはもちろんの事
「庁内報」のような
印刷代やら配送料のかかるものを
ペーパーレスのみにしたりして無駄をなくし
驚くほど種類が多くて支給金額も多い
職員さんの諸手当も一般企業並みにして
貧困対策や福祉に使う財源を増やしてほしいな。

岡林信康の歌の世界、
50年以上たった今も変わらない。