東海道本線(相模川2 茅ヶ崎市松尾)

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この撮影地は、現在の相模川が流れている場所から東に1.5Kmほど離れた場所ですが、
鎌倉時代には、ここを相模川が流れていました。
相模川は、約800年の間に氾濫を繰り返しながら流れを現在の位置に移していきました。
この附近には、柳島、中島等の地名があり昔は相模川の川州が多くあった事がうかがえます。
又、写真の畑の脇の大きな家の庭先には、サラバティー(聖なる河)の神格化した女神
弁財天が祭られていました。
撮影地近くを流れる小出川は、相模川本流の痕跡と見られています。
1923年、相模湾沖を震源とする関東大震災が発生し噴砂現象により小出川の東の田んぼから
突然、直径60cmの木の柱が7本突き出してきました。
調査の結果、鎌倉時代初期の相模川に架けられた橋の橋脚部分である事がわかっています。
相模川橋脚が噴出したのは、この撮影地からほぼ北に400m程離れた地点です。
 鎌倉幕府の将軍稲毛重成は、源頼朝の妻政子の妹である妻が亡くなった追善の為、
1198年12月27日相模川に橋を架けました。
落成式では、頼朝を招いて渡り初めを行いますが、頼朝はこの橋供養の帰途馬から落ち
それがもとで16日後の1199年1月13日に亡くなっています。