江ノ電 龍口法難会 その10

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なぜ日蓮は、龍口で処刑されそうになったのか
 
今日は、その解説記事です。
 
鎌倉時代後期、
度重なる飢饉によって餓死者が多発し
地震・暴風雨・疫病などの災害も相次ぎます。
 
民は、生き地獄のような生活をしていました。
 
さらに政権は、権力争いの内紛、
そして蒙古(元)の侵攻の恐怖。
 
そんな時代に鎌倉に現れた若い僧、日蓮
 
彼の主張の一つに
自分が唱える法華経のみ信じなさい。
いまこの世にある既存の宗教は、邪教
それを信じていたら
国が亡びるよというものがあります。
 
日蓮は、当時の最高権力者北条時頼
自身が政治・宗教のあるべき姿を記した書物(立正安国論)を送るけれど
当初は、相手にされません。
 
それでもこの書物には、政権批判も綴られ
当時は、北条時頼も最明寺入道と名乗り
彼なりの仏教感もあっただろうから
おもしろくなかったはず。
 
日蓮は、辻説法などで
どんどん信徒を増やしていきます
 
国が不安定な時に
日蓮に感化した人たちが
あちこちで政権批判しはじめたらまずい。
 
日蓮邪教と言われた
念仏衆達(浄土宗の宗徒)との対立も激化して
ちょっとした騒動になっている。
 
日蓮は、大衆扇動をして
北条政権を倒そうとしている
危うい奴だ。
 
時頼の立場になれば、
そう思うのも無理はないですよね。
 
もう許容できないぞと
 
時頼は、日蓮に告げます。
 
他宗の存在も認めれば
鎌倉追放だけで許してやろう。
 
しかし日蓮は、それを拒否。
 
そして「処刑だ!!」に至るのです。