今日の朝日新聞朝刊に
百舌鳥古墳群にあるニサンザイ古墳(5世紀後半)で
後円部斜面から周濠の堤にかけて
木の橋の跡とみられる29個の柱穴が見つかったという記事が載っていました。
多くの人にとっては、どうでもいいような記事だけど
考古学も好きな私には、実に興味深い記事。
大半の新聞記事は、斜め読みしてしまうけれど
この記事は、じっくり読みました。
古墳に架けた橋、
いったい何の為に使われたのだろう?
今日のこのブログでの記事は、
この大発見にちなんで、地元の古墳のお話。
と言ってもこのブログを始めた2005年の6月に一度記事にしてるから
めんどくさいのでその記事をコピーして貼り付け(笑)
1967年,小菅ヶ谷1~2丁目で
横50m高さ5mの崖に横穴古墳が
100基以上確認されました。
'68年、'70年、'72年の発堀調査で
横穴内から被葬者の人骨、土師器、須恵器、鉄器、菅玉などの玉類、
銅製の腕輪などが発見され
6世紀中頃から8世紀初頭にかけて
6世紀中頃から8世紀初頭にかけて
この地域の集落中最も有力な集団の首長とその縁者のものと考えられています。
横穴古墳の基本的構造は、入り口、羨道、玄室部に区画されていますが、
七石山古墳群は、玄室の奥壁に小さな奥室が造られている複室構造をもち
「鍛冶ヶ谷式」の名があり、いたち川流域に所在する横穴式古墳群の特徴です。
古墳群は、JR根岸線の延伸工事がはじまると
そのほとんどが失われ
現在残っているのは、この写真のマンションの手前の
木々が植わっている小高い山の部分のみです。
さてさて、一応、鉄道写真ブログでもあるので
この写真の説明を・・・
七石山横穴古墳が写っていて
未発表の写真がないかと探して引っ張り出してきました。
撮影したのは、去年の12月25日。
副都心線対応改造を終えて
逗子からやって来た東急5000系
牽引機は、新鶴見機関区のDE10 1101号機でした。