高速道路(357号線・湾岸線)が出来て
私が子供の頃の風景と様変わり。
根岸湾の埋め立て前、
3つの岬からなる湾でした。
この写真の辺りは、昔は海の中、
間坂の海側から森の浅間下までは、
突出した岸壁で砂浜がなく
磯子から森に行くには実際に山側を通るしかありませんでした。
源実朝(1146-1199)が、この辺りのことを
「大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けた裂けて散る」と歌っているように
この辺りは、砂浜ではありませんでした。
平子が領主だった頃は、
「平子郷」禅馬村と言われていたこの地、
16世紀になって北条早雲(1431-1519)が、平子をこの地域から追放。
16世紀になって北条早雲(1431-1519)が、平子をこの地域から追放。
その後は、磯子と言われる地になります。
この磯子とは「磯」を中心とした地形の自然背景による村を構成した村落共同体であったから、
磯っ子の愛称が詰まって「磯子」になったそうです。
う~ん、実にローカルで
鉄道写真ブログらしからぬ記事だ。(爆)