江ノ電 阿佛邸旧跡石碑脇の紫陽花

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月影ガ谷って
もっと山側の地なのにおかしいなと思いながらも
阿佛邸旧跡の石碑があるものだから
ここが、阿仏尼邸の跡地だと思い込んでいたら
やっぱり違っていたみたい。
 
 
十六夜日記後半の鎌倉での日々を記す「 東日記 」の冒頭部分

東にて住むところは、月影の 谷とぞいふなる。
浦近き山もとにて、風いと荒らし。
山寺の傍らなれば、のどかにすごくて、波の音、松の風絶えず、
都のおとずれはいつしかおぼつかなき程にしも、 … (以下省略)。
 
ここに出てくる山寺とは、
当時広大な極楽寺の寺域のうちにある塔頭、月影ケ谷にあった
月影地蔵四王院法蔵院無常院などの子院のことでしょう。


別な箇所の「このうしろの山」という記述は、
阿仏が住んでいた邸の背後に山があったことをしめしています。

山からの「聖福寺」と「今熊野」が展望出来たそうで
聖福寺」は現存しませんが
「今熊野」は極楽寺の東の熊野新宮。(たぶん)
 
この日の江ノ電撮影で
極楽寺川沿いの紫陽花と江ノ電を撮っていたら
熊野神社の例祭の日、江ノ電の線路沿いを
御神輿が通るからまたきてね。」と
ご近所のおじさんに教わりました。