浄光明寺

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何度、鎌倉のお寺巡りをしても飽きないのは、
仏像の美に魅せられているからだと思う。
その意味では、ここ浄光明寺の収蔵庫(木・土日、祭日開放)に収められた
阿弥陀三尊像(1299年頃の作)には、心奪われるものがある。
鎌倉地方の仏像彫刻の秀作の一つで国重文にもなっている。

今回続けてUPしている鎌倉シリーズでは、お寺の紹介が中心だったので、
今日は、浄光明寺にまつわる歴史のお話でもしようかと・・・

1335年、足利尊氏は鎌倉に帰ってきていました。
北条氏滅亡後、後醍醐天皇は政権を取り戻そうとしていましたが、
ニューリーダーになった新田義貞足利尊氏は、共に次の武家政権を握ろうとしていました。
新田と足利と天皇とが、次期政権をめぐって三つ巴の思惑が渦巻く時期にあたります。

足利尊氏が鎌倉に出向いている間に新田義貞は、天皇に取り入って、
武家政権の野望を持つ足利を討てという勅命をとりつけます。
さっそく大軍をもって鎌倉に進発しました。

かねて予期していたこととはいえ、
兵を動かせば天皇に弓ひくことになり、動かなければ新田に敗れることになる。
細川頼春らの近臣と共に、ここ浄光明寺阿弥陀堂で話し合いを繰り返しました。

そして応戦と決し、軍兵を率いて進発。
足柄峠の向こうの竹の下で新田軍と激突します。

そしてやがて、足利政権の樹立になるのです。