江ノ電・和田塚5号踏切&大巧寺

今日は初夏を思わすような眩しい日差しの照る陽気。
こんな日は、女性がきらめいて見えます。
そこで鎌倉に行く事に(何のこっちゃ!!笑)

急ぎ足で鎌倉駅に近いお寺を3つ廻りました。
「おんめさま」の名で親しまれ安産祈願で有名な大巧寺。
「東身延」と呼ばれる本覚寺
比企一族の邸宅跡にある妙本寺です。
今日から3回に分けて訪ね歩いた順に
お寺の紹介&ブログ用に無理やり撮った(爆)‘鉄’の写真で綴ろうと思います。

まずは、江ノ電です。
江ノ電鎌倉駅を出て一番最初に差し掛かる踏切。
和田塚5号踏切。
ここには、江ノ電の遺物、昔の踏切跡が今も残っています。

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お約束の鉄道の写真を御覧頂いたところで、
これからは、大巧寺の産女伝説を語ってみようかと・・・
まずは、お寺の写真から。
共に1/10秒の低速シャッタースピード。しかも手持ち撮影。
果たしてブレは?

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天文(1532年~)の頃、大巧寺の第5世日棟上人は、毎朝、本山の妙本寺にお参りに通っていました。
ある朝、夷堂川(滑川の本覚寺辺りの名)の夷堂橋に差し掛かると
下半身血まみれで青ざめた顔をした婦人が苦しみもだえています。
「私はさる武士の妻、先ごろ難産で苦しみ死にました。
赤子が泣いてすがりつき、成仏出来ず迷い苦しんでいます。」と言う。
日棟が読経して供養すると
三日後、かの婦人がおだやかな顔で日棟の枕元に現れ
「これは生前貯えておいたお金です。これで仏塔をつくり、
世の婦人たちの為に安産祈祷をして下さい。」と言って去った。
日棟が目覚めてみると枕元に包みがある。
その包みの出所を訪ねてみると秋山勘解由(かげゆ)という武士、
この包みは、妻の衣服と同じ布であるという。
日棟は、このお金で宝塔を造り、本堂に安置して安産守護とした。

ちなみにこのお寺、もとは十二所にあって、真言宗の大行寺といった。
頼朝がその寺で軍評定をしたところ、その戦に勝ったので
大巧寺と改められたとのこと。
そして今の場所に移ったのは1320年。
住僧が日蓮宗に帰依して自分の名を日澄とし寺が日蓮宗に改められるという経緯がある。