米神集落Vol.3

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「神奈川県の歴史散歩」という本を読んでいたら米神、根府川の石材産業の記述を見つけました。
米神、根府川は、隣接する岩、真鶴(真鶴町)や吉浜、門川(湯河原町)などと共に
石方6ヶ村として石の生産を競いこの地域に33ヶ所の採石場があるそうです。
この地域の採石の歴史は古く真鶴の石工先祖碑には、平安末から始まったと記されていますが、
本格的な発展は、小田原城の築城や1596年~1615年の江戸城の築城の頃からのようです。
他の資料によると根府川・米神の採石は、1573年に始まったという記述もありました。
この地域には、江戸城築城の際、紀伊尾張、水戸の御三家や浅野、黒田、加藤などの諸大名の
石切り場が数多く開設されたといいます。
その後、江戸の街並みの整備や大火での復旧事業などでも江戸から近いこの地域の石が使われ
その頃には、民間の採石も盛んになっています。
真鶴の岩にある小松山の小松石は、良質の安山岩で、今も墓碑用の銘石として知られていますが、
米神の根府川石は、滑らかに湾曲した面で板状に割れる性質があり
石碑、飛び石によく利用されています。
漁業とみかんしか産業がないと思っていたのんびりした米神にこんな産業もあったのかと知り
また一つ勉強になりました。
そしてかっては、採石、石切だけでなくそれを港まで運ぶ人、船輸送に従事する人など
多くの人が米神に出入りしていたでしょうからきっと賑わった集落だったと想像できます。

写真は、米神踏切辺り。
山の傾斜に西湘の陽を受けた水仙があちらこちらに咲いていました。
そして、その穏やかな陽を浴びてニャンコが気持ち良さそうに日向ぼっこ。
のんびりした風景にとっても溶け込む姿でした。