江ノ電 稲村ガ崎の水仙

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今年最初の歴史講座は、鎌倉幕府最後の時、あの有名な新田義貞さんの稲村ガ崎進攻の時のお話です。
1333年5月19日、右翼軍を率いた大館宗氏の戦死で大館軍は、片瀬まで退いちゃいます。
知らせを受けて慌てちゃったのが義貞さん。
本隊の葛原ガ岡への攻撃を弟の脇屋義助に任せて、
自ら二万騎をさいて深沢、津村を抜け腰越に向かいます。
20日には、日坂で北条軍を蹴散らして、田辺の山道を進んで正福寺谷に至りました。
そして、正福寺に本陣を置き、前面の山(現在の陣鐘山)に布陣します。
稲村ガ崎での竜神とのやり取り進軍のお話は、みなさんご存知でしょうから省いて
今日は、陣鐘山でのお話に切り替えましょう。
21日、山の上から月明かりに霊山・極楽寺坂の北条軍を見るとその山地一帯は、北条軍の堅固な陣構え。
海の上には、大舟浮かび遠矢の構え。
一分の隙さえありません。
そこで義貞さんがとった行動とは・・・?
まず、本陣のある正福寺の釣鐘を北条軍が布陣する霊山と相対する陣鐘山に担ぎ上げます。
そしてその鐘を総攻撃の合図のように打ち鳴らしました。
でも実際に攻撃を仕掛けたのは、一部の兵力。
北条軍の目を引き付けて義貞さん達一行は、岬を目指したのでした。

写真は、稲村ガ崎3丁目に咲く水仙です。