江ノ電(無心庵)

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今日も歴史教室開催です。興味のない方、御免なさい。
まァ、しょせん個人のブログ、自分の好きな事書き込んで自己満足しちゃいましょう。
って、それならほかのカテに書き込めよ!!とのお叱りを受けそうですが、
写真だけは、かたくなに鉄道カテを守りますのでご容赦を。

今日は、和田塚駅から直線距離にしたら250m程の所にある一の鳥居の脇にあるお墓に眠る
六郎さまのお話です。
六郎さまって言うのは、畠山六郎重保のこと。
彼は、畠山重忠の息子です。
重保は、三代将軍実朝の御台様を京都に迎えに行くのですが、
この時、京に在番の平賀朝雅北条時政の妻、牧の方の娘婿)と喧嘩しちゃいます。
そこで、平賀朝雅は、牧の方を通していろんな理由をくっつけて、
「重保は、問題の人物だからその処置をして欲しい」と時政に迫ります。
時政にとってもうってつけのチャンス到来。
かねて、頼朝の死後、源氏に忠誠な重臣達を次々と消していこうとしていた時政、
いい機会だと畠山父子に狙いを付けました。

1205年、時政は、畠山重忠のいとこの稲毛三郎重成を利用します。
6月20日、重保は、重成の招きによって鎌倉を訪れます。
22日の夜半、「謀叛だ!!」という声が風に乗って西御門から由比ガ浜の方へ走り抜けていきました。
重保は目覚め、邸前の異様な声につられて起き上がり、押っ取り刀で、わずかな従者と飛び出します。
乗馬が、当時は、海べりの水辺だった一の鳥居を駆け抜けると辺りは、真の闇。
ただ波の音がするばかり。
なんかおかしいぞと思っていると覆面の人々がにわかに重保を取り囲みます。
「謀叛はいずこか。畠山重保助勢つかまつるぞ!!」と呼びかけると
「謀叛人はお前だ!!」と言うや否や斬りつけて来ます。
こうして多数の刀で重保は、斬りきざまれてしまいます。
全く無念でしょうね。

この時、北条時政は、稲毛重成を使って「鎌倉に事件が起きたからすぐ来るように」と
重忠も呼び寄せます。
重忠は、僅か百余人の従者を連れて鎌倉に向かいます。
謀叛人、畠山重忠を誅殺するという名目で、北条義時らの大軍が旭区の万騎が原で待ち伏せ
数刻に及ぶ戦で重忠は討死にしてしまいます。
こうして畠山父子は、北条によって謀殺されてしまったのです。

本当に畠山父子も悔しかったろうなァ。
思わず「お心お察しします。」なんて宝匡印塔に向かって言っちゃいました。