江ノ電(腰越宿)

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昨日、龍口寺で曼珠沙華を見た後、腰越の商店街を江ノ電スナップしながら腰越駅に向いました。
この腰越商店街で江ノ電スナップするお気に入りのポイントが5~6ヵ所あります。
昨日も、とりあえずそのポイントで立ち止まり江ノ電をカメラに収めます。
ちょうど小学生の下校時でもありました。
子供を見ると電車と絡めたくなっちゃう。ここでもやっぱりカメラを向けます。
そうそう、ここ腰越では、私がいつも電車と絡める女性や子供だけでなく
老若男女すべての人を電車と絡めても絵になるから不思議です。

腰越商店街のあるこの道は、藤沢から鎌倉に入っていく古道で
昔から人家も多く腰越宿になっていました。
1180年8月、石橋山の合戦で大庭景親らは頼朝の軍を破ります。
頼朝は、敗走して房総に逃れますが、僅か二ヶ月で再起すると
関東の武士の多くが頼朝に味方しその数は数万になります。
慌てたのは、大庭景親
景親は、僅かな兵を引き連れ藤沢の大庭城を出て西走し平家方に付こうとします。
足柄峠を越え鮎沢宿まで行くと前方に甲州の武田勢二万が待ち伏せしています。
景親は、行く手を阻まれ足柄山中に逃げ込みますが、追いかけてきた同族の梶原景時の勧めで降伏。
頼朝は、景親だけは許せないといって、ここの腰越の浜で斬首しています。
また、1189年には、藤原泰衡から送られてきた義経の首が、
鎌倉入りしないようここ腰越で梶原景時和田義盛らにより首実験されています。