JR根岸線 (本郷台小菅ヶ谷 長光寺)

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1590年、豊臣秀吉は、小田原城を攻め落とし北条の領地を徳川家康に与えます。
家康は、江戸城建築中に当時から栄えていた藤沢に拠点を置いて栄区内の柏尾川流域や
本郷台の小菅ヶ谷、鍛冶ヶ谷、中野などに領地見聞を兼ねてよく鷹狩に訪れています。
その為、本郷台辺りには、家康にまつわる逸話が数多く残っているのですが、
その中から今日は、小菅ヶ谷の長光寺にまつわるエピソードを紹介します。

慶長の頃、徳川家康がこの辺りで鷹狩をした時、
大切な鷹が大松のこずえに止まって降りてこなくなってしまいました。
困った家康は、付近の古いお堂で休息し、中に安置されていた薬師如来を礼拝すると
不思議な事に、鷹は家康の手に戻ったといいます。
そこで家康は、野辺の花を摘んで薬師如来に手向け、後に三葉葵の紋を下附しました。
これ以後、この薬師は、「花立薬師」と呼ばれ、現在も長光寺に現存しています。

長光寺は、菅谷山医王院と号し、伊豆の豪族伊東祐親(すけちか)の孫
祐光(すけみつ)が、鎌倉時代に創建したお寺です。
祐親は、伊豆に流された文覚上人を寄偶させ上人自作の薬師如来像を贈られました。
この像は、祐親から子の祐清に渡りましたが、頼朝の挙兵による砥並山の合戦で
祐清が戦死すると、その子祐光は、この像をもって母と妻と共に鎌倉に移ります。
そして、父の菩提を弔うために入道し道意と名のりここ小菅ヶ谷に一字を開き
東照山医王院と号します。
医王とは、薬師如来の別名であるので、本尊は、その薬師如来であったと思われます。

1枚目の写真の先頭車両辺りの下にある道を左に8分ほど歩くと長光寺があります。