昨年の5月に苔むした降魔橋を撮り込んだ横須賀線の画像を展示していた。
その記事の中に時期を逸して、つつじの花と苔むした石橋(降魔橋)の組み合わせで撮れなかった
悔しさも綴られていたので、今日、リベンジのつもりで出掛けた。
しかし、さすがにゴールデンウィーク中、充分予想はしていたけれど、
北鎌倉は、観光客でごった返し、とても昨年のような橋を正面から大きく撮り込んだ
落ち着いた雰囲気の構図は組めない。それどころかカメラを構えて電車を待っているのも邪魔にされる。
そこで、今回は、ちょっと視点を変えて白鷺池(びゃくろち)を中心に撮ってみた。
ここは、円覚寺の境内。
しかし、明治22年に無理やり円覚寺の中を軍港横須賀まで鉄道を通した為、円覚寺境内は分断され
その事を知らない人は、ここを円覚寺境内と思わずただの池として眺めているようだ。
禅宗の寺では、寺の入り口に池を作り、その池の中央に橋(降魔橋)を架ける。
その橋から先が仙境、手前が俗界とし仏の世界と俗界を隔てている。
従って、俗悪な人は、この橋を渡れない。仏の世界に入るにはこの橋を渡らなければならない。
これが、禅寺の作り方で宋風にならった禅宗様式。
白鷺池には、伝説がある。
建長寺ができて26年後の1279年、執権北条時宗に招かれた宋の高僧無学祖元が鎌倉入りした時、
一羽の白鷺が祖元の頭上に現れこの池に祖元を導いた。
八幡宮の神霊が鷺になって祖元を案内したのだとされ祖元は、禅寺を開くのに適した場所として定め
ここに円覚寺を創建した。
その記事の中に時期を逸して、つつじの花と苔むした石橋(降魔橋)の組み合わせで撮れなかった
悔しさも綴られていたので、今日、リベンジのつもりで出掛けた。
しかし、さすがにゴールデンウィーク中、充分予想はしていたけれど、
北鎌倉は、観光客でごった返し、とても昨年のような橋を正面から大きく撮り込んだ
落ち着いた雰囲気の構図は組めない。それどころかカメラを構えて電車を待っているのも邪魔にされる。
そこで、今回は、ちょっと視点を変えて白鷺池(びゃくろち)を中心に撮ってみた。
ここは、円覚寺の境内。
しかし、明治22年に無理やり円覚寺の中を軍港横須賀まで鉄道を通した為、円覚寺境内は分断され
その事を知らない人は、ここを円覚寺境内と思わずただの池として眺めているようだ。
禅宗の寺では、寺の入り口に池を作り、その池の中央に橋(降魔橋)を架ける。
その橋から先が仙境、手前が俗界とし仏の世界と俗界を隔てている。
従って、俗悪な人は、この橋を渡れない。仏の世界に入るにはこの橋を渡らなければならない。
これが、禅寺の作り方で宋風にならった禅宗様式。
白鷺池には、伝説がある。
建長寺ができて26年後の1279年、執権北条時宗に招かれた宋の高僧無学祖元が鎌倉入りした時、
一羽の白鷺が祖元の頭上に現れこの池に祖元を導いた。
八幡宮の神霊が鷺になって祖元を案内したのだとされ祖元は、禅寺を開くのに適した場所として定め
ここに円覚寺を創建した。