会津線 第一大川橋梁

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小・中学生時代、
毎月購読していた
鉄道ジャーナルなどの鉄道雑誌は、
結婚した後も大切に保管していましたが、
度重なる引越しに紛れて消えてしまいました。
しかし、蒸気機関車の写真を路線別に載せた
「月刊世界鉄道写真全集」
(定価230円だって安い!!)の何冊かは、
そこに掲載された写真の美しさ故に
残されていました。

昨日、
その内の1972年に発行された
C11<会津線/只見線>を観ながら当時を懐かしみ
自分の写した会津線のアルバムを引っ張り出してきました。

そのアルバムには、
写真と共に当時、一生懸命調べただろう会津線の資料や
季刊誌「旅と鉄道」の文体を真似た旅行記
コメントが貼られていました。

そこから少し紹介します。

会津線といえば、
私が訪れる前々年の71年8月までは、
会津若松~只見間と
会津若松会津滝ノ原間の二路線を指し
俗に前者を会津只見線
後者を会津滝ノ原線と言って区別していました。
それが、只見と大白川がつながり
会津只見線は、只見線に名称変更。
この時、会津滝ノ原線は、
会津線として一本立ちしています。

会津線は、
1927年11月の西若松~上三寄間の開通から
小刻みに南へ伸びながら伸延開業していき
滝ノ原に到達したのは、1953年11月の事。

私が訪れた73年には、
すでに国境の山王トンネルは貫通していたものの
赤字路線に加え
木材運搬の役目も終わりかけていた事から
当初の計画にあった
会津若松から川治・鬼怒川を経て
日光線の今市に通ずる全線開通は、
頓挫していました。

私も当時、
会津線が消えてしまう事はあっても
栃木県に繋がるとは思ってもいませんでした。
それだけに1986年10月、
野岩鉄道会津鬼怒川線
ドッキングした時は驚きでした。


写真は、駅舎が線路下にあった
桑原駅の近く第一大川鉄橋
SL用の給水タンクが桑原駅にあり
ここからが本格的な山岳線。
大川第一橋梁は、
湯野上に向かって25‰の勾配でした。

この辺りは、
山あいに桑、栗の木にまじって
タバコ畑が続き、
運がよければ月の輪熊にも会えるとか。
まさにクワバラクワバラ。

この大川第一橋梁、
大川ダム建設に伴い
1980年には橋脚が撤去され
桑原の集落や桑原駅と共に
今ではダム湖(若郷湖)の底に
沈んでいます。