京急 街の中・部屋の中

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2年前に生活保護を受けるまで、
長野県に住む女性(30)の食卓に、
しょっちゅう並んだ献立だ。
ざっくり混ぜて食べると、
油のコクで
空腹が満たされる気がした。
最初はツナ缶の
残りの油をかけていたが、
缶詰は買えなくなった。
長女(9)と次女(8)は
「おいしいよ」と食べた。


おなかをすかせた2人は当時、
女性に隠れて
ティッシュペーパーを口にした。
次女は塩をふってかみしめた。
ティッシュって
甘いのもあるんだよ」。
後になって長女が教えてくれた。
いい香りのする
もらい物のティッシュは、
かむと一瞬甘いという。


そんな困窮状態になっても、
周囲に「助けて」とは
言い出せなかった。
 2010年、
夫の暴力に耐えきれず家を出た。
派遣社員として工場で働き、
月収は多くて15万円ほど。
だが、うつ状態
休みがちになった。
収入は落ち込み、
光熱費を滞納し始めた。
夫から「役立たず」「ダメなヤツ」と
罵倒され続けてきたことで、
「自分がすべて悪い」という
心理状態が続いた。


夏でも窓を閉め切り、
買い物に出かけるのもためらった。
国民健康保険料を滞納したために
呼び出された役所では、
「収入10万円でも
払っている人はいるんだ」と
職員に言われた。


ぜんそくの長女が風邪をひき、
手持ちがないまま訪ねた薬局で、
「後日必ず払います」と懇願したが、
「慈善事業じゃない」と断られた。
 親類や知人も生活は苦しく、
「甘えるな」「節約したら」と言われた。
「人を頼っちゃいけないんだ」。
そう思い込んだ。


 2012年暮れ。次女が風邪をひいた。
この状況を何とかしなければと訪れた病院で、
小児科医らに生活保護を勧められた。
だが役所では、うつだと話しても、
「もう少し働いたら」と何度も促された。
「やっぱり頼っちゃダメなの」。
申請をあきらめた。
その後、クレジットカードの
キャッシング(借金)を繰り返したが、
数カ月で返済が滞った。


13年12月。
電気の止められた部屋で、
野菜の切れ端が入った薄い雑炊を
3人で1杯ずつすすった。
ろうそくの炎を見つめるうち、
長女から「死んじゃうの?」と聞かれ、
決意した。
あのときの小児科医に助けを求め、
福祉相談に応じている
病院の職員に付き添われて
生活保護を申請。
うつが悪化し、
就労は困難だとして認定された。


 今は月18万円ほどで暮らす。
前は何も欲しがらなかった長女や次女が、
「マック食べてみたい」
「弁当にから揚げ入れてね」と
言うようになった。


 女性は振り返る。
「周囲の厳しい視線を感じて殻に閉じこもった。
周りの人もがんばってるんだから
自分だけ助けてって言うのは恥ずかしく、
なかなか言い出せなかった」