JR横須賀線(円覚寺)

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北鎌倉のホームを見下ろす山の上に山ノ内八雲神社がありその近くの崖に沿って11基の庚申塔がある。
古いものには寛文5年(1665年)の銘があるといい今日は、その庚申塔を見に出かけた。
帰途、せっかく北鎌倉まで来たのだから横須賀線の写真も残しておこうと数枚シャッターを切った。
すでに陽は傾き陽光も雲にさえぎられて紅葉のきらめきを写す事が難しい条件でしたが、
日中、大勢いた観光客もだいぶ減って人とのかぶりは避けられました。
 
 円覚寺
寺域の山ノ内は、鎌倉時代は山ノ内庄と呼ばれ現在の大船から横浜市戸塚区、栄区の一部を含む
広い地域でした。
北条義時がこの地を所領にした事で山ノ内には、北条氏の建てた寺が多くあります。
円覚寺もその一つで北条時宗が禅によって武将たちの心を鍛え元軍の侵入に備える
道場を造ろうとしたのが建立のいきさつです。
当初、建長寺の道隆と建立を進めていましたが、1278年に道隆が亡くなった為
翌年、宋から無学祖元を迎えました。
祖元は、時宗に元の国の国情を教えたり元寇の対策を忠言したりと時宗の師にもなっています。
その後、二度目の元寇弘安の役1281年)で死んだ将士の菩提を弔うため1282年創建されました。
創建初期の伽藍は、仏殿、僧堂、庫裡があるだけだった円覚寺鎌倉幕府の祈願所に定められてからは
土地や建物の寄進を受け大きな寺に育っていきました。
1333年、新田義貞の鎌倉攻略で北条氏一族は東勝寺で自刃し鎌倉幕府は滅びますが、
円覚寺は、1335年夢窓国師が十五世住職となってからは政治力を発揮し寺は繁栄を続け
盛時には、七堂伽藍が整えられ、搭頭も四十二院を数えています。
足利義満により五山制が確立されてからは、鎌倉五山第二位に列せられました。