江ノ電(満福寺)

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'77年11月10日に訪れた満福寺山門と今日、'05年11月8日に撮影した満福寺山門を並べてみます。
'77年当時は、こじんまりとしたお寺で鎌倉の歴史に興味のある人を除いては訪れる人も少なかったのですが、
今日の観光客の多さにビックリ。
本堂はすっかり改装されてりっぱな堂になり境内も整えられていました。
この寺は行基開創という古寺。
天平の頃、奈良の都や関東でも悪疫が流行し行基聖武天皇の命により各地に薬師如来をまつる
祈願寺を建てました。満福寺もその中の一つ。
この寺は義経腰越状のことで世に知られています。
この腰越状は、大江広元によって握りつぶされ頼朝のもとには届きませんでした。
政所長官の広元としては、義経を許せば「将兵への恩賞、賞与は鎌倉からのみ与える」という
鎌倉に幕府をつくる基盤が崩壊すると考えたのでしょう。
実際、義経後白河法皇より左衛門尉・検非遺使を任官された後、義経周辺の武将が我も我もと
院の賞与を望み、二十余人が賞を受けてしまい頼朝が心配していた雪崩現象が起こっています。
義経を許していたならば、後の鎌倉幕府の結束もなかっただろうし
源氏が政権をとることもなっかたかもしれません。