京急(屏風ヶ浦V0l.3)

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1960年以降、根岸湾埋立地へのIHI東芝、日清製油などの大企業とその関連企業の進出に伴い
屏風ヶ浦地区は、その後背住宅地として急速に宅地化が進みました。
しかし、スプロール的に宅地化され狭あい道路が多く住宅地でもオープンスペースが少ない一方で
斜面緑地が点在しています。
屏風ヶ浦に活気があった1960年半ば~後半頃、屏風ヶ浦八幡橋~藤棚を経て神奈川新町に至る
地下鉄(高速鉄道)の計画がありました。
「都市交通審議会(答申第9号)昭和41年7月15日」の計画図には、2号線として
屏風ヶ浦~神奈川新町間が載っています。
この答申によると当時、駅ホームの構造から8両編成までしか運行できなっかた
京急の朝夕の大混雑を救済すると共に路面交通の混雑緩和を図ろうと計画された旨が載っています。
私も早く地下鉄が出来てくれないかな~と待ち望んでいたのですが、一向に工事を始める様子がない。
結局、京急の12両編成の登場及び輸送力増強により地下鉄2号線は、幻の路線となってしまいました。
横浜の地下鉄に1号線と3号線があって2号線がないのは、京急との関わりが原因だったのです。
 
 森浅間神社の参道から森6丁目方面を望む