東海道本線画像展示場

湯河原

せっかくもらった8連休に近場の温泉巡りばかりでは勿体ないと 今日は、湯河原の立ち寄り温泉に出掛けました。 大船発6時04分の373系普通列車に乗り込み特急利用の旅行気分に浸りながら東海道を下ります。 湯河原到着は、7時03分。 降りたホームでお世話にな…

4月25日 国府津にて

今日、東海道本線の電車で乗り合わせた男子高校生二人組、 お互いの家のシラスご飯の食べ方から旅館で出たシラス料理のことまで実においしそうに話している。 その表現が素晴らしく私まで食べたくなってしまった。 そうなると食いしん坊の私も止まらない。 …

東海道本線の桜

昨日は、午後から風が強くなり桜吹雪となりましたが、お昼までは、ポカポカ陽気。 そんな陽気の中、ここ保土ヶ谷区境木町の清水谷戸トンネル附近で のんびりと春の花に囲まれて過ごしました。 桜や菜の花・タンポポが咲き乱れモンシロチョウやてんとう虫と戯…

桜と185系電車Vol.1

今や、横浜の東海道本線で見られる国鉄型電車は、臨時列車を除けば185系0番台だけとなった。 リニューアルされているとは言え、東海道本線での興味の対象は、この車両。 昨日、今日と桜の風景の中を走る185系電車を撮ってきました。 場所は、清水谷戸トンネ…

横浜の湘南電車、最後の日に

今日、113系と最後のお別れをして来ました。 改めて惜別の気持ちを添えブログ未公開の画像も併せここに掲げます。 ありがとう。そして、本当に、本当にご苦労様でした。

悔やまれる今日の113系撮影行

横浜から湘南色が消えてしまうのは、「悲しい」とか「残念」という言葉より 「悔しい」と言う表現の方が今の私の心情でしょうか。 そして今日、撮影においても「悔しい」思いの残る経験をして来ました。 まず最初に狙った113系は、大船着13時47分の下り8…

113系 杉山神社

終焉間近い113系の姿を撮り溜めに行こうか、それとも神社、お寺巡りをしようかと迷った挙句、 両方を満たしてくれる地域に出向く事にした。 場所は、保土ヶ谷。 以前から保土ヶ谷に杉山という名の神社が多いのはなぜだろうと気になっていて調べるつもりでし…

大船駅での対面

大船駅7番線、横須賀線下りホームで電車を待っていると4番線に113系が入線して来ました。 とりあえず、5番線に停車中の横須賀線E217系ごしに望遠で1枚ショット!!

横浜の113系

去年、横浜市内を走る113系はたくさん撮りましたが、 一目で横浜とわかる写真は、横須賀線と並行して走る絵や 横浜駅近くの跨線人道橋から横浜駅方面を撮った絵など数枚しかありません。 そこで昨日、ランドマークタワーのような横浜のシンボル的なものを撮…

東海道本線 二ノ宮駅からの箱根外輪山

是非、画像クリックしてオリジナルサイズでみてね。 箱根外輪山が、くっきりで~す。 神奈川県下を走る113系と富士山の組み合わせの写真が撮りたくて、 1月に入ってから2度程、東海道本線を下りました。 1度目は、丹沢、箱根の山々は綺麗に見えるのに、肝心…

東海道本線 藤沢

藤沢は、1941年5月まで鎌倉郡に属していた事からもわかるように鎌倉との結びつきが多い土地でした。 923年~31年、藤沢、村岡地区に荘園を開いた村岡五郎平良文は、940年に平将門を討ち 後に良文とその子 忠光、忠頼らとその子孫は、千葉氏、上総氏、三浦氏…

東海道本線 大船~藤沢

いつまで経っても来ない113系を待っているのは、魚釣りに似ているなと思った。 実に多くの魚が目の前を飛び跳ねているのに狙っている魚はいない。 時折、あたりがあるが、カメラの起動が遅くてばらしてしまう事もしばしば。 そうかと思えば、次々とヒットす…

東海道本線(清水谷戸トンネル)

1870年当初、東海道本線は、勾配のきつい権太坂を避けるために横浜(現桜木町駅附近)から 大岡川沿いに現在の京急日の出町から上大岡に至る地域を通り、日野村に出て日野坂を切り通しにし 岩瀬村(大船の隣村)に達する計画でした。 しかし、その後の周辺の…

東海道本線(清水谷戸トンネル附近)

今日は、1648年まで東海道の保土ヶ谷宿場のあった古町(現天王町二丁目古町橋辺り)から 旧東海道を史跡の説明板など読みながらテクテクと歩いた。 旧東海道の権太坂を登りきり武蔵、相模の国境にある境木地蔵尊に辿り着いたところで ここが、30年以上前にブ…

平塚駅

1887年7月11日、平塚新宿の松林の砂丘上に平塚停車場が開業しました。 当時、この辺りは松林と砂丘だけで「代官林」といまれていました。 1923年9月の関東大震災による駅舎の全壊や1945年7月16日夜半の平塚空襲による駅舎全焼を経て 現在は1日平均約57600人…

藤沢市村岡地区

村岡は、境川の東に位置し南を柏尾川が流れる歴史の古い地区です。 村岡は、923年に鎮守府将軍の平良文(後の千葉氏、上総氏、秩父氏、三浦氏、鎌倉氏の祖にあたる。)が勅命を受け相模国村岡郷に入りここを当時の関東、東北の政治の中心地としたことに始ま…

東海道本線(相模川2 茅ヶ崎市松尾)

この撮影地は、現在の相模川が流れている場所から東に1.5Kmほど離れた場所ですが、 鎌倉時代には、ここを相模川が流れていました。 相模川は、約800年の間に氾濫を繰り返しながら流れを現在の位置に移していきました。 この附近には、柳島、中島等の地名があ…

東海道本線(藤沢)

藤沢は、中世に遊行寺の門前町として始まり、江戸時代以降は東海道の主要宿場として栄えました。 小田原北条氏滅亡後、秀吉により関東に移された徳川家康が江戸城が完成するまでの間 ここ藤沢に御殿、代官陣屋を造り移り住んだ土地でもあります。 明治中期ま…

東海道本線(境川)

境川は、町田市最西端の大地沢や神奈川県城山湖近くを源に 藤沢片瀬の江ノ島対岸で相模湾に注ぐ全長54.5Kmの2級河川です。 古くは、高座川(たかくらがわ)、田倉川と呼ばれていましたが 1600年頃、相模の国と武蔵の国の境を流れる事から境川と呼ば…

東海道本線(相模川)

相模川は、山中湖を源流とし忍野八海の水をあわせ 相模湖、津久井湖を抜け相模湾に注ぐ流路延長109kmの神奈川県内最大の1級河川。 建久9年(1198年)冬の橋供養の折、源頼朝の乗馬が突然暴れだし川に落ちた事から この辺りは、馬入川とも言われる。…

横浜市栄区(「踊り子」)

横浜市栄区内を走る「踊り子」号の画像です。 1枚目;飯島町17番地辺りにある空き地から住友大阪セメント附近を走る「踊り子」 2枚目;金井町の柏尾川 金井遊水池 3枚目;長沼町 柏尾川大橋附近