2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧
午後5時を過ぎ、龍口寺前に神幸祭の神輿一行が3年ぶりに到着。 その脇を西日に照らされた300形が駆け抜けていきました。
2022年8月27日 境川に架かる山本橋のたもとで東り町の囃子屋台が神幸祭の神輿一行を待っていました。
御霊神社の境内社・石上神社の御神体は御霊神社の前浜沖1kmに沈んでいた巨大な石です。 漁船が度々座礁することから、江戸時代末期、この大石の上部を切って引き揚げ御霊神社境内に海上安全の神としてお祀りしました。 石上神社には、大小2基の白木の神輿が…
御霊神社には8つの境内社があります。そのうちの一つ稲荷神社は、 伏見稲荷大社より勧請され稲の生産と豊穣を司る宇迦之御魂大神を祀ります。 日本の神社の中で稲荷神社は、主祭神として2,970社、境内社・合祀などの分祀社は、32,000社を数えその数は、日本…
コロナ禍前でも鎌倉権五郎景政に会う前に邪気を払い身(心・魂)を清めた参拝者は、私が見た限り半数程度だったというのに今は、新型コロナウイルスの感染を防ぐため柄杓の共用だけでなく手水そのものの使用が出来なくなっています。 コロナ禍が長引けば、手…
駅のすぐそばにサーフィン関係のお店やサーフィン教室があるのも駅の近くにサーフポイントを控える江ノ電ならでは
和田塚5号踏切道 鎌倉駅に最も近い江ノ電の踏切鎌倉駅の西側である御成町とスーパーや丸七商店街などをつなぐ地元の人達にとっては、生活するうえで欠かせない踏切です。
北条氏の庇護のもと精力的なボランティア活動をした忍性の極楽寺。 今では、当時の面影はなくささやかなお寺。 かっての広大な極楽寺の境内に江ノ電極楽寺駅があります。
自家製のこだわり炭火焼豚を造り続けている稲村亭稲村亭のホームページに貼られている動画を見ればこの店の焼豚に対するこだわりや思い入れがとてもよくわかる 出来る事なら私の好きなバラや肩ロースの焼豚もレパートリーに加えて選択の幅を増やしてほしいな
『俺たちの朝』を見ていた世代です。 この駅に行くと極楽寺駅のホームの前の土手に三人が座っていたシーンがふいに目に浮かんできます。
何もない極楽寺の山間にある この酒屋の前を通るたび なんとなく店の中を眺めてしまう そんなお店
極楽寺といえば、今では、本堂と大師堂と収蔵庫、客殿と庫裡だけのささやかなお寺。 でもこの極楽寺、鎌倉時代には、忍性によってとてつもない大寺に造り上げられていたんです。 開創当時は、中央入り口に仁王門、参道左右に鐘楼、勧学院、参道正面に四王門…
稲村ヶ崎界隈ってお洒落なお店だったり味で勝負できるお店だったりいわゆる名店が散在していてはずれの店がありません。
この道の突き当りが旧安保小児科医院三方に設けられた切妻屋根とハーフティンバー様式の妻壁が印象的な建物は、1924年に建てられ1995年まで医院として使用されていました。
御成通りというと鎌倉駅西口の江ノ電鎌倉ビル前から由比ヶ浜大通りまで一直線に伸びる通りのことだと思っていたけれど御成通りの脇道、若宮大路につながる道も御成通りらしい
コロナ禍を乗り越えるメッセージをのせたこの「みずたまてん」の暖簾効果なのかお盆休み期間中の江ノ電長谷駅では、もの凄い数の観光客が改札口をくぐっていました。
極楽寺川の川砂は、多くの砂鉄を含んでいてその砂が堆積した七里ヶ浜の極楽寺川河口附近の砂浜は、今も黒い砂です。 その河口辺りには、1950年後半まで砂鉄の採取場もありました。 この辺りは、「金山」という地名で呼ばれていて鎌倉時代初期には、「金…
江ノ電の開業当時、1904年から1944年11月18日まで砂子坂という停留所がこの辺りにありました。 砂子は、「いさご」と読みます。すなわち砂金の事。 今でも極楽寺川や稲村ケ崎では、砂鉄に雑じって砂金が採れるようです。
この写真の奥に写る木々が茂る場所は、横浜最南部にある平潟湾の入口に浮かぶ「野島」という島 江戸後期に活躍した、浮世絵師歌川広重によって描かれた、『金沢八景』の中の『野島夕照(のじまのせきしょう)』で有名な地域です。 海抜57m の野島山を中心に…
この日、平潟湾を囲む道から海を覗き込むと40センチ近くある魚がたくさん泳いでいるのが見え小魚の群れは、平潟湾のどこの岸壁からも見ることが出来ました。
私の好きな夏歌は、 カルメン・マキ&OZの「崩壊の前日」と はっぴいえんどの「夏なんです」 くしくもどちらの曲にも入道雲というワードが入っています。 モンモンモコモコの入道雲ですモンモンモコモコの夏なんです
根岸湾を望む横浜南部の山の上に住んでいたので東京湾から沸き立つ入道雲を家から見て育ちました。 私にとって入道雲ほど子供の頃を懐古する雲はありません。
この踏切の向こう側は、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮まで一直線に伸びる若宮大路の下馬という交差点 鶴岡八幡宮に参拝する武士はこの辺で馬から下り、徒歩にて参詣したことに由来し「下馬」と言われ、今も地名として残っています。 そして、江ノ電は、「下馬四つ…
夏になると食欲がなくなりお昼御飯を抜くことが多くなります。 そんな日には、アイスをお昼御飯代わりにすることもしばしば
陽があると商店や家屋の影が軌道にかかり撮影しにくい腰越商店街ですが夏の光のコントラストにも助けられ面白い影が撮れました。
週末ともなればチャリボー(自転車用サーフボードキャリア)にサーフボードを付けたサーファーが行きかう商店街です。
重ね重ねの北条義時の挑発に挙兵を決断した和田義盛 北条氏打倒計画には相模国のほとんどの御家人が同調。若宮大路を中心に市街各所で2日間にわたり激戦を繰り広げます。 しかし北条義時側は、三浦義村の 和田義盛に対する裏切りや源実朝を擁して、和田追討…
長谷駅から由比ヶ浜の海までは、たったの200メートル、徒歩3分なのだけど長谷駅前からは、海の気配を感じられないんです。 長谷駅前から海側を見れば突き当りに柵があり立ち入り禁止の行き止まりのように見間違います。 長谷駅から星の井通りまでの間に…
奈良の大和長谷寺に対して新たに建立された新長谷寺にちなみ寺の名をそのまま地の呼び名にした長谷、江戸から「東海道」を通り、景勝地の「金沢八景」を経由し鎌倉の社寺や史跡を廻ったのち、七里ガ浜を抜けて「江の島」へ向かうという江戸庶民の定番観光ル…