2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

東海道本線(境川)

境川は、町田市最西端の大地沢や神奈川県城山湖近くを源に 藤沢片瀬の江ノ島対岸で相模湾に注ぐ全長54.5Kmの2級河川です。 古くは、高座川(たかくらがわ)、田倉川と呼ばれていましたが 1600年頃、相模の国と武蔵の国の境を流れる事から境川と呼ば…

横浜市栄区(七石山横穴古墳群)

1967年,小菅ヶ谷1~2丁目で横50m高さ5mの崖に横穴古墳が100基以上確認されました。 '68年、'70年、'72年の発堀調査で横穴内から被葬者の人骨、土器、鉄器、玉類などが発見され 6世紀中頃から8世紀初頭にかけてこの地域の集落中最も有力な…

JR根岸線(帷子川)

帷子川(かたびらがわ)は、旭区若葉台附近に水源とし横浜港に注ぐ全長17Kmの2級河川です。 上流部では、二俣川、中堀川、新井川等の支流を合流し 下流部では、石崎川、今井川、新田間川(あらたまがわ)等を分合流しています。 帷子川の名前の由来ー現在の天…

横浜市栄区(あじさい)

大道トンネルの本郷台側、小菅ヶ谷2丁目の丘の斜面に畑が残っています。 この畑に咲いていた紫陽花を写しました。 この近くを通る鎌倉道の脇に稲荷の小祠がありその脇を入ると 広地薬師という丸彫りで石造りの薬師如来像があります。 栄区という地には、各所…

横浜駅西口

1985年9月30日、東口にそごうがオープンするまで、 「横浜で買い物する」とは西口に行くという事でした。 愛着のある横浜西口を年譜をおって紹介します。 1952年11月28日 スタンダード・バキューム石油所有の土地24,688平方メートルが …

急行『水郷+犬吠』

1973年11月26日,私が13歳の時の 総武本線 新検見川~稲毛間での撮影です。 この頃は、主に機関車(SLや旧客車牽引機)や気動車を撮っていました。 昔のアルバムを見ると「犬吠+水郷」を撮る為に横浜の少年は、4回ほど千葉を訪れています。 今度、気…

横浜駅

現在の3代目横浜駅を紹介します。 ①歴史 1928年10月15日 関東大震災で焼失した2代目横浜駅の北側西区高島二丁目に開業。 1930年2月5日 京浜電気鉄道(京急本線)が接続。 1933年12月27日 神中鉄道(相鉄本線)が接続。 1976年9月…

国鉄平沼駅跡附近

1901年~1915年この撮影地から数百m横浜寄り(現在の相鉄線平沼橋駅附近)に平沼駅がありました。 1872年新橋~桜木町間に鉄道が開通し1887年7月11日には国府津まで延長されます。 日清戦争が始まると桜木町からのスイッチバックに要する時間を短縮させ 軍…

JR横須賀線(あじさい)

鎌倉~逗子間の名越トンネル逗子側にある久木踏切での撮影です。 この踏切のすぐ近くに法性寺があります。 1260年8月27日松葉ヶ谷の法難で念仏信者に小庵を焼き討ちされた日蓮は 三匹の白猿に導かれ小庵から名越の山の反対側に位置する岩穴に逃れてきました…

花と電車(あじさいⅢ)

大船駅近くの線路脇に咲いていた西洋アジサイです。 アジサイは、一般に土壌が酸性なら青 アルカリ性ならピンクになるそうで 窒素分の多少の差でも花の色が変わるそうです。 西洋アジサイは、1789年イギリス人のジュセフバンクスが 中国にあった日本原産の山…

花と電車(あじさいⅡ)

高校3年生と中学1年生の娘二人と一緒に鎌倉に写真を撮りに出かけました。 明月院や成就院は観光客のあまりの多さで諦め海蔵寺や浄光明寺をまわりました。 撮影会終了後、娘達は小町通りへ、私は横須賀線と紫陽花を写し込める撮影ポイントを求め 鎌倉~逗子間…

花と電車(タチアオイ)

タチアオイは中国、西アジア原産の多年草で日本には薬用(去炎薬)として渡来。 平安時代には、「唐葵」と呼ばれたが江戸時代に「立葵」と呼ばれるようになりました。 土質を選ばずこぼれ種でも良く増える花なので鎌倉駅附近の横須賀線線路脇のような 日当た…

花と電車(あじさい)

鎌倉市大町の材木座踏切附近にて撮影。 横須賀線の書庫に入れた「鎌倉Vol.3」の撮影地に再度,あじさいを撮りに行ってきました。 あじさいだけではなくタチアオイも咲いていました。 この近くにある鎌倉七口切通しの一つ名越(なごえ)切通しに あじさいの名所…

特急はやぶさ(東京ー長崎・西鹿児島)

ブルートレインと聞いてイメージするのは、20系客車。 鉄道マニアだった中学1~2年生の頃(今は、鉄道写真好きです)は、 ペンタックスSPFを持ってよくブルトレを撮影しに行きました。 ちなみに、はやぶさに20系客車が投入されたのは私が生まれた年です。 こ…

EF57 7

EF57 7は、太平洋戦争中の1942年9月30日に日立製作所で製造され 1978年9月26日の廃車まで36年間で346万Kmを走りました。 この間、東海道本線で特急「つばめ」「さくら」上越線で急行「佐渡」「越路」 東北本線で急行「津軽」「八甲田」などを牽引しています…

1974年1月 大宮駅 EF57 1(宇)+EF58

EF57は、1940年~1943年にかけて15両製造された旅客用機関車です。 戦後、東海道本線の特急「つばめ」「はと」を牽引した後上越線に移り この頃は、1948年に事故廃車になった12号機を除き 全機が宇都宮機関区に配属され東北本線上野~黒磯間の旅客列車に使用…

102レ 急行「八甲田」

EF57 7(宇)上野駅 11:07 「八甲田」は、1959年大鰐~盛岡間の急行として誕生。 1961年10月のダイヤ改正で上野~青森間の夜行急行となる。 1968年には、1往復増発され1970年、1往復が特急「はつかり」に格上。 しかし、1993年乗車率も5割程度に落ち込み臨時…

JR根岸線(根岸駅)

根岸駅に滑り込むクハ208-71(JR新津車両製作所 平成9年製造) 駅裏の鳳町に新日本石油精製根岸製油所がありタンク車が並んでいます。 根岸駅は、1964年5月19日開業で現在根岸線内貨物を扱う唯一の駅になり 貨物の取り扱い量は全国2位。*1位は、札幌タ…

JR根岸線(磯子区杉田)

JR根岸線と京急本線が交差する地点です。 この辺りは、江戸中期から明治前年にかけて文人墨客が訪れた杉田梅林があった所です。 米作りに不適切な土地であった杉田は、約400年前 領主間宮信繁が梅樹の植付けを奨励 これが後年 杉田梅林となり最盛期には3万6…

JR根岸線(磯子区杉田 八幡神社)

根岸湾の埋立が始まる前までは、すぐ目の前が海岸線だった場所に杉田八幡社がある。 今は、当時の面影はなく、鳥居の先は、うるさく車が行き交う国道16号線と 根岸線の高架線だ。 歴史のある杉田八幡神社。 その由緒を記しておきます。 八幡神社由緒 御祭…

JR根岸線(磯子区杉田)

杉田の地名は「旗立て杉の寺」として知られる古刹 東漸寺に由来する。 東漸寺は富岡殿と呼ばれていた北条宗長が1301年に創建した寺。 房州里見氏が攻めてきた時、北条軍が陣営する東漸寺の大杉に軍旗を立てた事から 「旗立て杉」と呼ばれこの杉にちなんで杉…

六郷川鉄橋 急行 高千穂・桜島

13歳の春、横浜から大阪までの往復を一人この高千穂・桜島に乗り旅をした。 一人で200Km以上の旅をしたのはこの時が初めてだった。 同乗した九州まで行くという大学生と親しくなったり 夏休みの自由研究用に車中の様子と共に車窓を流れる風景を追いかけ ノー…

JR根岸線(磯子区杉田3丁目)

杉田坪呑から母校の浜中学校を望む。 在学時は、校舎、グランドの周りは木々で覆われ校内から根岸線を見ることはなかった。 当時の学区は、屏風ヶ浦小、杉田小、梅林小の学区でなっており 私も森5丁目の実家から森6丁目~中原3,4丁目~杉田2丁目の山を越え…

JR根岸線(磯子区 南横浜火力発電所)

横浜市で使用する電気の約30%を供給する南横浜火力発電所は根岸湾埋立地の新磯子町にある。 1970年4月24日世界初のLNG(液化天然ガス)火力の2号機(35万KW)が運転開始。 1970年5月29日には1号機(35万KW)が運転を開始した。 敷地面積の約20%(約35…

1975年頃の氷川丸

中学、高校生の頃の私の初デートは、ワンパターンで山下公園一帯でしたので 氷川丸のイメージは今でもあの頃の薄い緑の船体です。 1975年頃の氷川丸の写真がアルバムに残っていたのでアップします。

JR根岸線(磯子区新森町)

1963年操業開始の日清オイリオ横浜磯子工場(見学コース有り) 世界最大級の製油工場で食用油、ドレッシング、調味料が製造されている。 私が小学生の頃、磯子駅の海側は、首都高速湾岸線やこれといった建築物もなく 日清サラダ油と書かれた高さ38mの…