石川町駅のプラットホーム
ホームドア設置の為の測量など
前準備はすべて終わり
設置工事までカウントダウンが
始まっていたのだけど
半導体不足の影響で
ホームドア設置は、
来年にずれ込みそう
もうしばらく
駅撮りが楽しめそうです。
敬老の日を前にした9月18日
実家に持参するお土産、
18年物の紹興酒と
そのつまみになる
同發のチャーシューと
皮付き豚バラ肉の焼物を買いに
横浜中華街へ
この日、9月18日は、
日本における
終戦の日や原爆投下の日と同じく
中国では誰もが知っている
特別な日でした。
でも中華街を楽しむ
大勢の日本人の中に
今日がその史実の日と知る人は
どれだけいるのだろう?
高校生の時、
「戦(いくさ=193)一発(=1)」で
年号を覚えた人も多いだろうけど
試験が終われば忘れてしまうのが
加害者側の日本人
中国だけでなく日本にとっても
重要な節目の日なんだけどね。
平和を願い隣国や隣人と仲良くするという
「親仁善隣」という言葉が掲げられた
横浜中華街のシンボル的存在のひとつ
善隣門には、
「慶祝中日国交正常化50周年」の
横断幕が掲げられていました。
昨日、実家に行った帰りに
母校の屛風ヶ浦小学校の近く
屛風浦第一踏切に寄り京急撮影
京急の駅名にもなっている屛風ヶ浦
(現在の京急の駅名は、屛風浦)
この名の由来を辿れば、
源頼朝が、戦時に備え
金沢、富岡、杉田などを
船の上から検分した折、
磯子の浜辺にそそり立ち連なる断崖を
屏風に譬えたのが始まり。
鎌倉幕府最後(9代目)の将軍
(もちろんお飾り将軍)の守邦親王は、
1333年、鎌倉に戦乱が起こった時、
権現堂福禅寺の長円を伴い
薬師仏像と共に鎌倉を脱し
ここ森村に移りました。
その薬師仏は、
この写真に写っている
後方の山の中にある
森浅間神社の本地仏として
1335年5月28日に安置され
森浅間神社の御神体となっています。