京急 中原

撮影ポイントの屛風浦第一踏切に立ち
屛風浦駅方面を見れば
築堤の大カーブ
そして杉田駅方面を見れば
ここから1.5㎞ほど続く直線です。

この写真は、
杉田駅方面を撮影しています。

写真の奥、
上り線側の側道に線路側を向いて
中原見守地蔵尊
御堂が建立されています。

御堂の中に掲げられた由来によれば
1930年、京浜急行の前身である
湘南電気鉄道が中原の町を
南北に走るようになり
7名の方が犠牲になられました。
この方々をはじめ
鉄道事故に遭われた方の霊を慰め、
以後の鉄路安全を願い
中原漁業協同組合員、
磯子農業協同組合
中原生産班員らの寄付のもと
願行寺住職により建立されたのが
中原見守地蔵尊とのことです。

 

EF210 326 中華街

敬老の日を前にした9月18日
実家に持参するお土産、
18年物の紹興酒
そのつまみになる
同發のチャーシューと
皮付き豚バラ肉の焼物を買いに
横浜中華街へ

この日、9月18日は、
日本における
終戦の日や原爆投下の日と同じく
中国では誰もが知っている
特別な日でした。

でも中華街を楽しむ
大勢の日本人の中に
今日がその史実の日と知る人は
どれだけいるのだろう?

高校生の時、
「戦(いくさ=193)一発(=1)」で
年号を覚えた人も多いだろうけど
試験が終われば忘れてしまうのが
加害者側の日本人

中国だけでなく日本にとっても
重要な節目の日なんだけどね。

平和を願い隣国や隣人と仲良くするという
「親仁善隣」という言葉が掲げられた
横浜中華街のシンボル的存在のひとつ
善隣門には、
「慶祝中日国交正常化50周年」の
横断幕が掲げられていました。

京急 屛風ヶ浦

昨日、実家に行った帰りに
母校の屛風ヶ浦小学校の近く
屛風浦第一踏切に寄り京急撮影

京急の駅名にもなっている屛風ヶ浦
(現在の京急の駅名は、屛風浦)
この名の由来を辿れば、
源頼朝が、戦時に備え
金沢、富岡、杉田などを
船の上から検分した折、
磯子の浜辺にそそり立ち連なる断崖を
屏風に譬えたのが始まり。

鎌倉幕府最後(9代目)の将軍
(もちろんお飾り将軍)の守邦親王は、
1333年、鎌倉に戦乱が起こった時、
権現堂福禅寺の長円を伴い
薬師仏像と共に鎌倉を脱し
ここ森村に移りました。

その薬師仏は、
この写真に写っている
後方の山の中にある
浅間神社本地仏として
1335年5月28日に安置され
浅間神社御神体となっています。



EF65 2097 関内

高島貨物線からやって来た機関車が
都会に来たと思うのが
ここ関内辺り

この辺りには、
シティホテルやビジネスホテルが多く
すぐ近くにある横浜中華街などの
横浜観光の拠点

関内駅北口から港方面に行けば
横浜スタジアムがあり
その先は、
国指定重要文化財である神奈川県庁をはじめ、
重厚な建物が並ぶ官庁街

一方南側は、
「イセザキ・モール」や
馬車道などのストリートがあり
飲食店などが軒を連ねています。

EH200 (8760レ) 中華街

先日、中華街で購入した
18年物の紹興酒
とても美味しかったので
敬老の日
両親へのプレゼントの
プラス一品として
その紹興酒も加えようと思い
再び中華街へ

その道すがら
中華街の某所から
8760レ 
EF200の単機を撮影

 



 

EF65 2070 横浜南部の風景

JR根岸線の中でも
横浜南部を象徴する地形がみられる
山手駅の近く竹之丸からの撮影です。

この辺り、
古くは久良岐郡根岸村

竹之丸の「マル」は
「丘、小山」を意味するとのこと。

そして写真左上の
鬱蒼とした木々がある辺りは、仲尾台

「ナカオ」は
谷戸の中央の尾根」を意味します。