D51 833  山陰本線 荒島駅

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1973年7月29日 山陰本線荒島駅にて

 

13歳の夏休み。
SL撮りたさに祖母の実家があった
伯備線の生山の親戚の家にお世話になり
そこから山陰本線に出向いています。

この後藤デフを付けた
D51833号機には、
この日3度出会い
全てカメラに収めています。

まずは、
米子に向かう866レを揖屋~荒島間で撮影。
そして、米子から戻ってきた863レを
安来~荒島間で撮影。
その後、すぐさま荒島駅に戻って
撮ったのがこれらの写真。

荒島駅で863レは、
駅横のセメント工場に
貨車3両を置いていく為に
15分間の入れ替え作業をするのです。

荒島駅に戻った時には、
すでに
貨車の切り離し入れ替え作業は終わっており
幡生に向かう準備をしていました。
 

江ノ電 ススキと海

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江ノ島電鉄株式会社の

オフィシャルビジュアルも務める

湘南風景写真家、

市川紀元さんの写真展が

片瀬すばな通りの

Gallery-Tで開催されており

そこで2年ぶりに市川さんとお会いし

江ノ島電鉄の車内・駅ポスターを

手掛けるようになったいきさつなどを

伺いながら過ごしました。

 

ギャラリーを出た後は、

鎌倉高校前駅近くのススキで

江ノ電を撮影してから帰途につきました。

 

 

東急3000系中間車4両甲種輸送列車とススキ

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今日の
東急3000系中間車4両甲種輸送は、
季節感を出したかったので
ススキのある場所で撮ろうと
考えていました。

何か所か候補地はあったのですが
港南台での洗濯機の買い物に
思いのほか時間がかかり
結局、選んだのは地元の駅近く

ススキありきで選んだこの場所、
DE10 1666に
ケーブルが被ってしまう
残念な撮影地

しかし
移動する時間もなく
ここでカメラを構えました。

C57 客544レ 島根県安来市荒島町 1973年

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母方の祖母の実家が

伯備線の生山にあり

中学1年生の時の

1973年

そこに泊めてもらい

山陰本線

蒸気機関車の撮影をしにでかけました。

この544レは、

当時、本州における唯一の

C57が牽引する客車

 

浜田を早朝6時03分に出て

米子までずっとC57が

客車を牽引していました。

 

この撮影地、

今どの様になっているのだろうと

Googleマップ

航空写真とストリートビューで見てみると

古代出雲王陵の丘として整備されていました。

 

 

 

C57 41 山陰本線 荒島~揖屋

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PENTAX SPF

ネオパンSS

 

1973年7月29日

当時、中学1年生だった横浜の少年は、

夏休みを利用して

伯備線の生山、

鳥取県日野郡日南町にある

母方の遠い親戚の家に泊めてもらい

山陰本線蒸気機関車を撮りに行っています。

この日に撮影した列車を時系列にすると

荒島駅をスタートして

DF50→やくも2号→C57 41

→D51  833→DF50→D51 744

→D51 239→DF50→D51 833

 

アルバムに貼られたこの写真には、

C57 41(浜)

10時40分

山陰のC57で集煙の付いていないのは

これだけと記されていました。

 

この撮影地は、

現在、王陵の丘として整備されています。