EF65 2094 横浜市中区仲尾台の桜

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数年ぶりに桜の開花時期に合わせて

山手の桜を望む場所に足を運びました。

立野小学校の桜は剪定されたのかな

昔のように

校庭を取り囲む桜はなくなっています。

仲尾台中学校の桜は、

桜の前の木々が育ち

ピンク色を半分くらい

隠してしまっていました。

今年は、桜の開花が早く

入学式には葉桜でしたね。

 

EF65 終美色

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大岡川の桜も散り始め

6~7分咲に逆戻り。

開花したばかりのソメイヨシノは、

あれ?

桜ってこんなに白かったっけ?と思う程

白い花に覆われますが、

散り際には、

アントシアニンの量が増え

イメージ通りの桜色

枝に置き去りにされた

花糸(おしべの軸)も真っ赤に変化し

見目麗しい彩になりました。

 

EF65 大岡川の寂桜

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日本が引き起こした
あの戦争への思いに繋がる。
 
パッと咲いては、
我先にと散り行く桜。
 
それは、潔いと美化され
兵士達は、桜の花の生き様を尊ぶように
洗脳されたという。
 
戦中の桜の話が載っていた。
 
生還を期さない戦艦大和の沖縄への出撃。
 
それは、「水上特攻」と呼ばれた。
 
出撃前日、
瀬戸内海で訓練中の艦上で
「桜、桜」と叫ぶ声が上がったそうだ。
 
乗員は先を争って双眼鏡に取り付いた。
 
そして、
「コマヤカナル花弁ノ、
ヒト片(ひら)ヒト片ヲ
眼底ニ灼(や)キツケントス……
桜、内地ノ桜ヨ、サヤウナラ」。
 
 
76年前の、この国の現実。
 

EF65 2083 桜色の中

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大岡川のこの桜、三代目であるらしい。

横浜が、まだ市になっていなかった頃の
明治時代の初代桜達は、
関東大震災で焼失。

震災後の1928年、
護岸改修に合わせて植えられた2代目桜達は、
太平洋戦争の時の燃料不足を理由に
付近の住民達が、すべての桜を伐採しちゃった。

天災や戦争という人災に翻弄された桜達、
なんとも不幸な境遇を送っています。

戦後、問屋街を控えた
この辺り一帯の大岡川の川沿いは、
人を招くということで柳が植えられましたが、
1972年に桜が再度植樹され
その3代目桜達が、今に至っています。